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ドラジャパクイーンの本懐1:言語の中の「遊び」プレリュード

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  Oak Bayのベゴニアー個人のお家ですが、見事なお庭をおしげもなく披露してくださっています。

週一回更新。自分との約束がギリギリで守れました。(😌)

 

これから数回にわたって、わたし個人の「言語」観のようなものを展開していこうと思います。過去学んだこと、経験したこと、ぼんやりと考えていたことが、頭のあっちこっちに飛び散らかって存在している、というのはおぼろげに意識しています。

 

かっこいい表現を使うと、「メタ認知」ですね。自分が考えていることを、高次元(メタ)の自分が見ている。自分のことを見ている自分というと、ちょっと幽体離脱の怪談みたいですね。でも、日常生活でも多くの方がやっていることです。特に、「空気」を読みすぎる傾向のある方は、メタ認知活動を活発にしすぎて不要なストレスを背負い込むこともあるのでは?

 

また脱線してしまいました。

 

さて、言語の話に戻ります。以前、言語学との出会いでお話したフェルディナンド・ド・ソシュール先生に再登場していただきましょう。

 

またまた脱線です。『一般言語学講義』は、ソシュール先生ご自身で書いた本ではなく、ソシュール先生のお弟子さんによって、没後出版された本なのです。ご自身で執筆し、出版された本は一冊もないんです。

 

1906年から1911年までジュネーブ大学でおこなわれた講義内容をまとめ、Le Cours de linguistique generaleというタイトルで1916年に出版されました。

 

出版に至るまで大変な苦労があったようです。先生は講義のためのノートというものをきちんととっておくタイプの方ではなかったらしく、講義での解説のための概要を急いで書 いた下書きを、次々に破棄していたそうです。(わたしは、すぐ紛失しますけど)

 

本の執筆にあたり、三回行われた講義に出席した学生たちが書き取った ノートに頼らざるをえなかった、と原稿執筆および出版事業に奔走したシャルル・バイイさんとアルベール・セシュエさんが回想しています。

 

わたしにとって、『一般言語学講義』の中で、一番意義深いのは、「言語」というとても複雑で説明しにくい事象を目の前にして、「どんな方法で」取り組めば良いのかについて、たくさんのヒントをもらったことですね。

 

その中で、今でも影響を受けているのが、広義の「言語」(フランス語のLangage/ランガージュ)を二つの側面に分けて扱うという方法論です。もともとフランス語で書かれた本ですから、フランス語を使ってみますね。

 

広義の「言語」または「言語活動」ーLangage

大辞林によると、Langageは、人間の話す・聞くという行為のありのままの総体を指しています。それは、複雑で多様な側面をもつ混質体であるため、そのままでは言語学の対象にするには扱いにくいので、ラングとパロールという相反的な二面に分けて研究すべきだとソシュール先生は説いています。

 

日本大百科全書では、言語をはじめとする記号をつくり出し使用することを可能にするさまざまな能力およびそれによって実現される活動と定義されています。この能力、活動には、発声、調音など言語の運用に直接関係するもののほか、抽象やカテゴリー化といった論理的なものも含まれます。

 

Langageに対し、個々の社会(例えば国、地方、グループ)のなかで、記号のつくり方や結び付け方、あるいは個々の記号の意味領域などをめぐる規則(いわゆる文法や語彙)が制度化されたものをLangue ラング(言語)と呼んでいます。さらにこのラングという枠組みのなかでランガージュを機能させることにより実現する、具体的に発せられた個々の言葉がParole パロール(言)と呼ばれています。

 

『一般言語学講義』は、ラングの領域に関する記述・分析が中心で、個人的、偶然的なパロールとは区別された社会的、本質的なラングが、言語学本来の対象であるというような印象を残してしまったようです。

ソシュール先生がどう思っていらっしゃったかははっきりわかりませんが、残されたノートなどから、ご自身は、パロール言語学も構想していたのではないかという意見もあります。

 

余談ですが、ソシュール先生はアナグラム(anagram)という、言葉遊びの一つで、単語または文の中の文字をいくつか入れ替えることによって、全く別の意味にさせる遊びに関する研究をなさっていたというのがわかっています。これを見ても、言語において規則や制度的な面以外にも興味を持っていたということが伺えますね。

 

パロール的な言語学を目指した方で、エミル・バンベニストさんというフランスの学者さんがいます。「ラング」中心とする言語学が、言語本来の動的で開かれた性質をないがしろにしていると批判し、文法以外の要素に焦点を当て、個別的で、一回一回違う(一期一会的)ディスクール(Discours)を分析対象とする言語学を提唱しました。このディスクールという概念は、のちに社会学詩学、談話分析などの分野にも大きな影響を与えました。

 

英語では"discourse”、日本語では意訳して言説(げんせつ)や談話と訳されることが多いです。ディスクールは、単なる言語表現ではなく、現実を反映するとともに現実を創造する言語表現であるとみなされています。

 

さらに、このバンベニストさん、詩の言語学的分析もされています。

 

少しずつですが、言語学における「遊び」的要素に近づいてきていますよ。

 

もう少しご辛抱を!

 

 

参考文献

一般言語学講義 (改訂版)

フェルディナン・ド・ソシュール (著), 小林 英夫 (翻訳)

岩波書店(1972)

 

新訳 ソシュール 一般言語学講義 

フェルディナン・ド・ソシュール (著), 町田 健 (翻訳)

研究社(2016)

 

一般言語学の諸問題 

エミール・バンヴェニスト (著), 岸本 通夫 (監修, 翻訳), 河村 正夫 (翻訳), 木下 光一 (翻訳)

みすず書房 (1983)