ドラジャパクイーンのお部屋へようこそ!ドラマ・演劇・言語教育について思うこと

ドラマ・演劇を日本語教育に活用するアイデアをシェアする場です。

ドラジャパクイーンのさよなら

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我が家の裏庭で咲くSnow drop(松雪草)

この記事で30回目の更新となります。徒然なるままに書き散らした文字数が5万字ほどに。

 

言語学、教育学などへの興味から、日本語をカナダで外国語として教えはじめて、助手時代も含めると38年。長いですねー。日本にいた頃は英語もバイトで教えていたので、それも含めると、半世紀近くなります。

 

外国語教育に魅入られてしまったと言えますね。

 

自分自身も外国語学習、特に英語学習に夢中になり、自信を持ったかと思いきや、自信喪失に陥ったりしながらも、いろいろ試行錯誤をしております。

 

教える方も試行錯誤の連続です。様々な言語学習理論が生まれ、それに基づく教育実践法も試されていますが、未だ「これだ!この方法をとれば絶対外国語が使えるようになる」という唯一無二の方法はない、と思います。

 

毎年、同じコースを、同じ教科書を使って、同じようなアプローチで教えても、「えっ?」と驚くことがあります。教える相手、学生さんが違うからです。だいたい、予想はつくのですが、うまく行くと思っても、だめだったり、自分では自信がない時に、うまく行ったりするのですね。

 

予想通りの部分とそうでない部分の絶妙なバランスのとりこになり、あっという間に何十年も教師としてやってきました。

 

現在の勤務校で、日本語カリキュラムの立ち上げから関わることができたのは本当にラッキーでした。教えるのが好きで好きで、週末も大学に行って、教材を作っていた日々を懐かしく思い出します。

 

ただし、だんだん年を取ってくると初級を教える体力が落ちてきているのを自覚し始めました。初級はペースを軽快に保たないとだれてしまうのですが、それがなかなかできないことに気づき、愕然としました。

 

20年前のわたしのほうが、いい先生だったなあ、とつくづく思います。

 

カナダの大学は定年退職制度が13年前に廃止されたため、理論的にはいつまでも勤めることができます。

 

しかし、教える能力の限界を自覚したこと、また学生に直接日本語を教える以外のことにも興味が湧いてきたこと、という二つの大きな理由でもって、来年、勤務校を退職することにしました。

 

退職後も広い意味での教育には関わっていきたいと思っております。

 

「ドラジャパクイーンのお部屋へようこそ」も30回目の記事をもって一旦終了させていただきますが、違うテーマとフォーマットで新しいブログを始めることにしました。

 

今まで読んでいただきありがとうございました。

 

新しいブログは「ポントの部屋」と言います。文化間、言語間を生きる方々に、その面白さ、大変さを、愛犬ポントが「徹子の部屋」のごとく、お話を聞く、という設定です。

 

わたしが過去に実際に遭遇した異文化間体験を基に作り出した架空の人物(動物も?)とポントが話す、というわたしにとっての初フィクション!になります。どこまで続けられるかわかりませんが、挑戦してみます。こどもの頃、なりたい職業が三つありました。第一はバレリーナ、第二はお花やさん、第三は小説家。

 

こどものころの夢実現への第一歩です。応援をお願いいたします!!

 

来週末に第一回を掲載する予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラジャパクイーンの教訓7:コミュニケーション再考続き(2020年締めのブログ)

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Nativity(キリスト生誕)のシーンを模した陶器の置物です。もっとリアリスティックなものもありますが、これは主人がチェコプラハで買ってきてくれたものです。

12月の第1週で秋学期が終わり、採点、成績づけに追われておりました。その後、日本へ。週一更新を怠ってしまった言い訳です。

 

この数年、最終成績とその内訳を各学生さんにメールでお知らせしています。大学からの正式な知らせが来る前に、成績の詳細、学生さんが頑張ったところ、頑張りが足りなかったところなどを添えて、コミュニケーションをはかるようにしています。

 

「わたしのクラスを取ってくれてありがとう。クラスに貢献しましたね。」という冒頭の挨拶からはじまり、中程で小テストの合計とか、数字のデータを表にします。最後は「今後の健闘をお祈りします。」の挨拶で締めます。

 

学生数が比較的少ないので、できることですが、それでもかなり時間がかかる作業です。でも、この一手間をかけることで、成績に関する苦情、質問に答えることがほぼなくなりました。

 

以前は、自分はもっといい成績が取れたと思ったのに、といった苦情があり、そのたびにメールのやり取りを何度もしたり、面談をしたり、と時間をかなり取られたこともありました。さらに、面談中に感情的になって、学生さんが泣いたり、怒ったりして、極端なケースでは、「僕の人生を台無しにした。」とお手紙をもらったこともあります。(今でもその手紙は取ってあります。)

 

わたしが日本で学部生だったころには考えられないですね、成績に苦情を言うなんて。先生方はどうやって成績をつけているのかミステリーでしたね。レポートを投げて、遠くに飛んだものにAをつけるなんて噂もまことしやかに流れていたのを記憶しています。

 

時代は変わり、日本の大学でも成績に関して学生さんが苦情とまでいかなくても、成績の詳細について担当の先生に質問できるようになったようですね。

 

ずっと前に述べた英語の表現、on the same pageは、共通認識を分かち合っているということを確認するのに、日常的に使われる慣用句です。「以心伝心」の真逆というのでしょうか。ビジネスの場面ではもちろんのこと、学生対教師という役割関係の場面でもよく使われます。教師(といっても個人差があるので、一般論は通じませんが)が当たり前と思っていることが、必ずしも学生(こちらも個人差がありますね)にとって当たり前なことと合致するとは限りません。

 

成績で苦情を言われないためには評価方法そして評価基準を明確にしておく必要があります。とはいっても、100%客観的な評価はむずかしいから、こんな感じで頑張ってね、という例をあげたりします。カナダの大学全般に言える事だと思いますが、学期のはじめに配るシラバス(コースの概要)はかなり詳細に評価に関して記述します。さらに、このような学習目的のために、このような学習活動をし、それをこのように評価します、といったような、まるで契約書、実は契約書的な役割をシラバスは持っています。

 

以上のように、しっかり武装しているように見えますが、それでもわたしの想像を超えることがたまにあります。

 

今はメールがあるので、気軽にまだあったことのない教師に連絡を取りやすいのでしょうね。

 

授業の時間を変えて欲しいという要望があったのには、驚きましたね。「えっ、あなた一人のためだけに、もう決まっている時間割を変えるの?」その時には、もう決まっているので、一人だけのために変えられません、と答えた記憶があります。返事はなかったと思います。

 

以上、学生批判めいたことをずらずらと並べたのは、「コミュニケーション」の基礎が、各人が当たり前だと思っていることが往々にして異なるということを認識する必要がある、ということを強調したかったのです。

 

前にも述べたことですが、「コンテクストのすり合わせ」、「イメージの共有」が、コミュニケーションをとるのに必要だということですね。

 

ただ、コミュニケーションをとる際、相手が100%共感、同調をしてくれるとき、違和感を覚えることもあります。へそ曲がりだからかもしれませんが、「本当にそう思ってるの?」、「ことを荒立てたくないから、イエスと言っているんじゃないの?」など。

 

けんかをする必要はないと思いますが、意見がちがっても別に気にしない、気にならない、強さというか鈍感さというのも、真のコミュニケーション達成のために必要なのかな、と思います。

 

Agree to disagreeですね!

 

さて、今年の6月から始めたブログ、29回目の記事で2020年を締めくくりたいと思います。書き散らした拙文をお読みいただき、ありがとうございました。また来年から徒然なるままに、思ったこと、思い出したことを綴っていく所存です。

 

はじめの目標、30回に達することができなかったのが、残念ですが、三日坊主のわたしにしては上出来だあ!

 

みなさま、どうぞ良いお年をおむかえください。

 

 

 

 

 

 

ドラジャパクイーンの教訓6:コミュニケーション再考

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冬でも咲き続けるエリカとそれを愛でる愛犬ポント

このブログで、何度も出てくるキーワード、「コミュニケーション」について、しつこく繰り返しになりますが、考えさせてください。前のブログ記事と重複する箇所もありますが、ご容赦ください。

 

コミュニケーションって一体なんなの?文化によってコミュニケーションのモードが違うの?前回のブログでわたしは、使う言語によってコミュニケーションのモードが違うと言っていましたね。英語を使うときは、はっきりと意見を言って、フレンドリー、オープンなコミュニケーション、日本語のときは、少し控え目、みたいな?

 

さて「コミュニケーション」というとまず何か言いたいことがあって、それを相手に伝達するという図式を思い浮かべがちです。たしかにはっきりとした意図がまずあってそれを相手に伝える状況も多々あります。仕事場で企画案をプレゼンする場合など、明確な目的、伝えたい内容がまずあって、それらの情報を効果的に聞き手に伝えようと最大限の努力をするでしょう。この場合の目的は聞き手を説得することにあります。しかし、私たちの日常生活を振り返ると相手とコミュニケーションを取ることそのものが、目的になる場合の方が多いのではないでしょうか。

 

気の合う友人とのおしゃべり、近所の人にばったり会った時に交わす会話などはそのよい例です。最近、特に若い世代の間では、携帯電話、パソコンでのメール、チャットの書き言葉によるやりとりが話し言葉によるやりとりの代わりをしているようですが、メールの書き言葉は話し言葉を模しているようにと思えます。その意味では、これも話し言葉による自己目的的コミュニケーションの変種と考えられるでしょう。自己目的的コミュニケーションの一つのかたちである雑談を例に、母語話者はどんなことをしているのか探ってみましょう。前にも言及した豊橋技術大学で教えていらっしゃる岡田美智男さんは「自分が本当に伝えたいことは会話の中で生まれてくる、あるいは結果として会話の目的のようなものが立ち現われてくる。会話そのものが目的だったりもする。」と述べています。コミュニケーションには「伝えたい、伝えようとして伝わること」と「結果として伝わってしまうこと」の二面性があるようです。

 

話をしている人たちは、各人がばらばらな状態で交互に言葉をテニスボールのようにやりとりしているのではなく、むしろ各人の身体がお互いの身体になり、入れ込みあって、一つの流れ(システムといってもよいですが)を作っています。このような状態を「間身体的な場」と現象学では呼んでいます。日常の雑談も「なり込みの場」を介して他者との関係性が築かれ、調整されています。たとえば、昨日みたテレビ番組、学校で起きた事件などを友人同士で再構成する「共同想起会話」では、同じような発話が同時に出現することがあります。 二つの身体が一つの発話を作るのを楽しんでいるようにみえます。他にも一つの文を二人で完成させる、相手の言葉が終らないうちに自分の言葉をかぶせるなど、「相互のなり込み」は日常、私たちがよくしていることです。言葉を介さなくとも、一緒にごはんを食べたり、テレビを見たりすることで、相手の考えている、気持ちがなんとなくわかることがあります。一緒に何かを見るという共同で同じことがらに注意を向けるという過程でお互いの気持ちが通じ合ったような気になるということです。

 

以上のことは、すでに前の記事で述べました。それをもう一歩、踏み込んで、コミュニケーション活動をしている人たちがいる「場」言い換えると広い意味での「環境」に注目してみましょう。

 

人を含む有機体の行動・知覚を脳、神経経路を経由した「刺激―反応」で説明していた理論とは、異なり、アメリカの知覚心理学者、ジェームス・ギブソンさんは、アフォーダンス(Affordance)という概念に基づき、人間を含む動物というか有機体と環境の関係について説明しています。アフォーダンスというのは、なにかを可能にする環境の要素を意味しています。

例えば、歩くという行為。これまでは動物の身体の性質として歩くことを研究するのが普通でした。「歩行」という意味は動物の内部にあるとされていましたが、歩行のアフォーダンスというのは動物に歩くことを可能にする環境の性質を指しています。

それに名前を与えるというのが発想の転換です。山登りをすると、山肌にはでこぼこの岩場やツルツル滑るところなど、いろいろなところがあり、一歩一歩足の踏み場を探して移動していくわけですね。

そのとき常に自分の移動を可能にする山肌の性質を探しているわけです。もし、一万歩で頂上に立てたとすると、体重を支え、移動を支えて、一歩歩くということを可能にする山肌の意味を一万のステップそれぞれで使ったはずで、そのすべてが移動を支えたアフォーダンスということです。


周囲にある環境の一部が歩くことに利用できるという見え方は、自分の身長や体重や運動能力を通して見えているので、ただの客観的環境というわけではありません。動物の行動の性質と周囲の性質が共に埋め込まれたことです。

もう一つの例をあげましょう。「薔薇の花」。これ自体は環境に存在するモノです。

ただ、これも有機体である「蜂」にとっては「蜜の貯蔵庫」、同じ有機体である人間にとっては、鑑賞・観察の対象となり、はたまた薔薇の花を気になる人にプレゼントすることで自分の感情を表現することもできます。

「薔薇の花」というモノには無限の価値が含まれていますが、蜂、人間など有機体はその中からいくつかの意味・価値を選び取っています。

この有機体と、ある環境にあるモノの一部の特性との間の関係性のことを「アフォーダンス」と呼ぶようです。

そして、このアフォーダンスというのは、「薔薇の花」の特性でも、「蜂」や「人間」など有機体の特性でもなく、あくまでこの2つの関係性の中で生まれる特性になります。なので、何が「アフォーダンス」になるのかというのは、有機体が何をし、何を欲し、何を有用と思うかによって変わることになります。

ですから、同じ(客観的)環境下にあっても、アフォーダンスに意識的、無意識的かはわかりませんが、それに気づき、それを活用するかどうかは個人差があります。

 

このアフォーダンスという概念を聞きかじってから、10年ぐらい経ちます。それを知ってから、学生さんたちを観察していると、いわゆる勉強の仕方が上手な人たちは、アフォーダンスの存在に気づき、それを活用しているように思えます。

 

またわたしの人見知り克服の話になります。以前、教師という役割がわたしを人見知りから解放してくれた、と述べました。しかし、教師という役割に「入る」には、大学という建物、教室、机、椅子、黒板、プロジェクターなどといったお膳立て、つまり物理的環境が必要ですよね。

 

コミュニケーションに話を戻しますと、最近では様々な業種で、居心地のいい部屋、照明、音楽などの物理的環境を整えることが、相手との接し方を工夫することと同じぐらい大切だと考えられています。

 

わたしの勤務する大学でも、カウンセリングなどを行う部屋は相談相手がリラックスしやすいように工夫されているようです。硬い椅子のかわりにソファがおいてあったり、観葉植物があったり、と。

 

たしかに入った瞬間にリラックスできる場、その逆に緊張を強いられる場というのがあるような気がします。

 

意図的にアフォーダンスを作り出す(もちろんそれに気づいてもらわないと困ります!)こともできるのかな、と思い始めています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラジャパクイーンの教訓5:使う言語によって自分は変わる?

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ビクトリア、Government House

「習い性」の話のつづきです。

 

カナダに住んでいる年数が日本でのそれを越えてから、10年以上経ちます。

 

洋画好きだった母の影響を受け、子供のころから外国語、特に英語に興味を持っていました。英語を勉強したい!と思ったのは、ジュリー・アンドリュースさん主演のミュージカル、「サウンド オブ ミュージック」を見た直後。小学校の5、6年でしたかね。

 

最初は、友だちのおにいさんに英語歌詞をカタカナで書いてもらって、あまり歌は上手でなかったのですが、サウンドトラックのレコードを聞きながら、英語っぽく(と自分では思っていた)ジュリーさんといっしょに歌っておりました。

 

でも、カタカナ英語に飽き足らず、親に英語を習いたい、とお願いしました。英語の家庭教師さんがきてくれることになりました。早稲田大学の学生さんで、留学経験がある方でした。今、考えるととてもいい先生でしたね。その先生が大学を卒業するまで、3年ぐらい教えていただきました。聞くことと発音に重点をおいたレッスンでした。ますます英語が好きになり、英検を受けたりして頑張っていました。

 

高校は英語教育では評判のいいところで、ネーティブスピーカーの先生が英会話を教えてくださっていました。公立の中学出身のわたしには、外国生活の長い同級生や留学経験のある先生がいるこの学校に、はじめのころは馴染めずおどおどしていました。しかし担任の先生は外国での生活が長い女性で垢抜けているというか、かっこいい先生で、憧れていました。厳しい先生でしたが、先生の英語のクラスが好きで頑張ったせいか、努力が認めてもらえたのはとてもうれしいことでした。同級生でアメリカに1年留学した人もいたりして、わたしもいつかは英語圏で留学したいなあ、と淡い願望を抱くようになりました。

 

大学でも英米文学科に所属し、また課外活動としても英語でのクラスを受講し、さらに2ヶ月のホームステイをアメリカでして、ホストファミリーと英語でコミュニケーションができたつもりでした。

 

自信満々でトロント大学の博士課程に入りました。そこで、自信が打ち砕かれていく出来事が次々と起こりました。初めてのクラスでは、10パーセントぐらいしかわからず、もちろんディスカッションに参加など無理な話です。日常生活でも語学の問題というよりは、生活文化上の違い、たとえばサラダを注文したらドレッシングを選ばなければならないという食習慣を知らないために、ウェイトレスに何度も同じ質問(What/which dressing would you like?と多分言っていたのだと思います)

をさせて、しまいには怒らせてしまうこともありました。

 

英語に対する自信がガラガラと崩れていく音が聞こえるようでした。

 

周りに日本語を話す人がまったくいない状況が半年続きました。ある時、市の図書館で日本語の新聞を読もうとしたら、縦書きの日本語が一瞬ですが、意味をなさない記号の集まりに見えたのです。今の時代のように、メールだのインターネットなどない時代です。母国ははるか遠かったですね。

 

わたしの属した教育学部は現役の先生、特に小中高の先生が昇進をするために再研修をする場でもあったので、同級生はうんと年上のお姉さんもしくはお母さん年代の方が多かったです。その年代の女性、特に現役の先生は世話好き、悪くいうとおせっかいな傾向があります。幸いなことに、世話好きなおばちゃん同級生に可愛がってもらい、補習や課題の英語チェックなどをしてもらっていました。それだけではなくプライベートでもお家に呼ばれてご馳走になったり、映画や遊園地に彼女たちの子供といっしょに連れていってもらったりしていました。そういう場で(安心できる場)英語でのコミュニケーションにも少しずつ慣れていきました。ただ今思うと、英語を話しているわたしはハイテンションで、超フレンドリー、不自然なわたしでしたね。本当の自分というのが何かわかりませんが、人見知りのわたしとは違うキャラが英語のコミュニケーションでは生まれていました。

 

これは外国語学習者が経験することで、Second Language Identityと呼ばれる現象です。わたしの学生で、日本語のクラスと言語学のクラス(これは英語媒体)を取っている人がいました。日本語力はかなり高かったですが、日本語を使っているときはおとなしめで謙虚な印象を受けましたが、英語では自信に満ち溢れて、やや生意気?な印象を持ちました。

 

昔は英語があんなに好きで得意だと思っていたのに、今は、英語はとてもむずかしいと思っています。さらに、日本語の能力も失っている(元々あまり日本語力は高くなかったのかも)ようで、どちらも中途半端だなあとつくづく思います。ただ見方を変えると、両方合わせると100パーセント以上になるから、まあよし、としましょうか?

 

それと最近自覚したのが、日本語を話しているときの自分と英語を話しているときに自分との間に、キャラ的にそれほど差がないということです。また、日本語を話しているときでも、場面、相手、そしてコミュニケーションの目的によって、英語でのビジネス場面っぽく、フレンドリーだけどちょっと強気で話そうとか、コミュニケーションモードを選んで「演じ」ていることです。

 

外国語を習う醍醐味として、よく学生にいう言葉があります。

 

外国語はそれを話している文化そして人と通ずるドアみたいなもの。ドラえもんの「どこでもドア」みたいなものでしょうかね。

 

 

 

ドラジャパクイーンの教訓4:習うより慣れろ

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          ビクトリア Government Houseにて

ヴィゴツキーという有名な発達心理学者は、子どもは自分一人では到達できないが大人や仲間と一緒の協同作業を通してなら到達できるレベルの能力を潜在的に持っているといっています。それが「発達の最近接領域」の概念です。

言い換えると、今は一人でできないかもしれないが、将来はできるようになるレベルの能力を表しています。子どもの潜在的能力を語るにあたり、子どもの持つ模倣能力について注目する必要があります。子どもはほんの幼い乳児のころから、周りの人の真似をします。子どもは現在の子ども自身の限界を超えたさまざまな行為を模倣することができます。 

子どもが今日、大人などのメンターと一緒にできることは、明日には自分ひとりでできるようになるということです。ここでの「明日」というのはもちろん比喩的表現です。子ども一人一人によって、いつ「明日」が来るのかは違いがあるでしょう。大人や仲間同士での協同によって、自分ひとりでは到達できないレベルに「背伸び」ができるとも表現できます。

それでは、どのようにしたら「背伸び」が可能になるのでしょうか。ブルーナーという学者はヴィゴツキーが提唱した「発達の最近接領域」では明らかにされなかった「背伸び」の仕組みを「足場かけ」(scaffolding )という概念を使って明らかにしようとしました。足場は、そこにいるため、足を置ける場所のことを意味しますが、永久的な場所ではなく、仮りの場所という意味合いが強いです。

たとえば建築工事のときに足場は本来の目的である建造物を作るための作業を可能にするものです。しかし、建造物が完成したら不必要になります。教育における「足場」の例は数多く挙げられます。問題解決学習の場で、教師がいくつかのヒントを挙げるのもその一例でしょう。

これを大人の日本語学習者に応用してみるとどうなるでしょうか。

わたしが勤務する大学で、プロの俳優が演じる日常的な場面を描いた演劇作品の鑑賞と模倣を中心とした学習活動を行っています。前にお話した「東京ノート」です。第一段階として作品内容の理解、つまり荒筋と登場人物の気持ちを理解し、第二に登場人物の立場になって、つまり自分のなかにある想像力を駆使して共感をもち、登場人物になってみる。第三にプロの俳優によって演じられた演劇作品を模倣します。すなわち、発音、抑揚などを真似することから、間の取り方、あいずちの打ち方などコミュニケーションルールに至るまでを模倣します。第四に自分たちでこの芝居と似たような状況、登場人物を考えだして、短いスキットを作ります。 

上述のヴィゴツキー理論を応用すると、プロによるパフォーマンスをお手本にしてそれをクラスメートと一緒に教師の助けも借りながら模倣することによって、自分ひとりでは到達できないコミュニケーションのレベルに「背伸び」ができるようになる、と考えられないでしょうか。 

言い換えると、「足場かけ」としての演劇的活動ということです。演劇においてディレクターが、俳優がうまく役をこなせるように指導するように、日本語学習者が実際に日本語を使って、適切なコミュニケーションができるように指導することは、私たち教師の大事な仕事の一つです。

学習活動としてロールプレイのような場合は、学習者自身の経験や環境を考慮しなくてはならないと思うのです。「のびしろ」とは、演じる側の想像力の及ぶ範囲のちょっと先、経験してなくても想像すれば、あるいは身体を動かせば経験できそうな領域のことです。そこを刺激するためには面白そうな取っ掛かりを教師は提示しなくてはなりません。日本語を演劇の場といういわば実験場でいろいろ試し、調整して、リハーサルをすることによって本番に臨むという点では俳優も日本語学習者もまったく同じプロセスを経ているんではないでしょうか。

 

私たちは体験的に身体で覚えたことはなかなか忘れないということを知っています。

たとえば水泳や車の運転など、どんなに本で勉強しても、事前に説明を受けても実践してみるとなかなかうまくできません。

しかし、いったん身体で覚えてしまうとその知識は定着します。しばらくぶりに泳いでもなんとかできるのは、それが動作記憶になっているからです。

外国語の学習も同じメカニズムから成り立っています。文法、語彙などの知的記憶を動作記憶に変えるには身体を通して覚えるしかありません。

言語教育を考えるとき、特に話し言葉学習において、文法ルール、語彙などの狭い意味での言語的要素だけではなくて,ことば以外の側面を考えに入れることが重要ではないでしょうかね。

つまり身振り、目線などの非言語要素および音調などのパラ言語要素も含め、ホリスティックに行われるべきではないかということです。

またコミュニケーション行動がはらむ「間身体性」、「関係性」も重要です。人と人との間の関係性、身体性なしにはコミュニケーションは成立しないといっても過言ではないと思います。関係性、身体性を可能にする場の共有の大切さも忘れてはならないでしょう。「模倣」が演劇だけでなく、学習にはたしてきた役割も見逃せません。

「演じる」とか「演技」ということばは日常生活ではあまりポジティブに受け取られていないようです。芸術家の森村泰昌さんという方は演技することなしに人間はありえないと言っています。

子どものころ、私たちはごっこ遊びやゲームを通じて人間関係について、失敗がゆるされる(どころか楽しみながら)場で「テスト」ケースを体験していました。大きくなってからは学校などで本番さながらのリハーサルを体験します。

私たちは意識しなくても演技に関わっているように思えます。広い意味での演技の積み重ねによって、私たちは自分の性格、個性を作り出しています。

「演劇」や「ドラマ」という言葉を聞くと、「私には演じることなんてできない、まして演劇なんて教えられない、」と尻込みする方も多いかもしれません。

しかし、よく考えてみると、私たちは日常いろいろな役割を演じています。同じAという人が家庭では「妻」や「母」であったり、仕事場では「教師」、「同僚」であったりして、その役割に適した表現を難なく選んで、ある意味「演じて」います。

私たちが社会的な存在である以上、「演じる」ことは日常的な行動です。視点を変えて、私たちが日常行っている「演技」の延長と考えれば、日本語教育に演劇的な要素を取り入れるのは決してむずかしいことではありません。

わたしは教師という立場から、日本語を学ぶ学生さんに 演劇を活用し、「足場かけ」活動を行なってきたつもりです。

でも、面白いことに、教師という「役割」を長年「演じ」ていることが、人見知り克服のための「足場かけ」のような機能を果たしていたようです。

毎学期、全く面識のない学生さんたちと関係を作り続けていくということをしてきました。おそらく数千人という数の「知らない人」に会って、数週間で信頼関係(であってほしい!)を築くということを続けていると、人見知りなんかではいられなくなります。

気がついたら、教室外でも知らない人とあいさつはもちろんのこと、雑談がある程度できるようになっていました。

それに気付かされたのは、前にもお伝えしたかもしれませんが、人見知り時代のわたしをよく知る友人の一言。「知らない人と話が弾んでるねー。」

飛行機に乗っても、以前のわたしだったら、「話しかけるな!」オーラを全開にしていたのが、最近は話し込んでしまうことも。

わたしは柴犬を飼っているのですが、柴犬を連れている人を見かけると自然に身体が動いて柴犬仲間(?)さんに話しかけています。

性格が急に変わったというより、知らない学生さんと出会い、関係性を築くという行為を長年するうちに、知らない人と話す習慣は、ついにはわたしの生まれつきの性質のようになってしまっているのかもしれませんね。

「習い、性と成る」 でしょうかね?いい意味でも悪い意味でも。

 

 

 

 

ドラジャパクイーンの教訓3:学ぶ立場から学んだこと

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京都相国寺のボケ

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先回のブログで、平田オリザさんが勤務校に客員教授としていらしたことに触れました。

 

今日は、その時のことを振り返ってみたいと思います。

 

上級日本語会話•聴解のクラスを担当していただくことになりました。このクラスは、通常わたしが教えるものでした。前にも述べた通り、長年、非常に苦労したクラスです。しかし平田さんの「東京ノート」に出会ってから、話し言葉をどのように教えたらいいのかが少し見えてきた、というクラスです。

 

わたしともう一人、日本語担当の同僚が学習者として、平田先生のコースをとることになりました。

 

平田先生のクラスでどんなスキットを作るかを決めるとき、面白いと思ったことが一つありました。

各学生に、場、時、問題を小さい紙に書かせて、それをクラス全員が見える黒板などにはりました。その中から人気投票をして、3種類ぐらいの設定に絞っていきました。

その際に、平田さんがこんな状況をどんな風に上演するのか、など質問していきました。あまりにも荒唐無稽なものは、パフォーマンスをするのが絶対無理と言わないまでも、かなり大変そうだ、というのに、学生さんも納得したようでした。

いろいろなスキットがあってもバラエティがあって面白いかと思いますが、このように種類を絞って、各グループがスキットを作っても面白いものだと感じました。

 

自分たちがいいと思う設定に投票をさせる際に、学生がとても生き生きとしていたのを鮮明に覚えています。ふだんは、無表情な人が表情豊かになった瞬間でした。

ただ単に先生に言われた課題をするという受け身的態度ではなく、自分たちが選んだ結果に従い、能動的に学習活動をするという自発性が伺えました。

 

ウォーミングアップ的な活動をいくつかした後、いよいよグループになって、少し長めの作品を作る際にもびっくりしたことがあります。

 

スキット作りをするとき、学生にシナリオを先に書かせ、それを先生がチェック、お直し済みのシナリオを覚えて、発表という段取りをずっとしてきました。

 

平田先生方式は全く違っていました。1シーンの内容をまず考え(1シーンというのは、人が出たり、入ったりするとシーンが変わる、と考えます。ですから、同じ場所でもいくつかのシーンが生まれます)、登場人物同士がインプロ的に話してみる、それを他の人が記録し、それを元に「セリフ」にする、というプロセスでした。

 

もう、このやり方は大げさにいうと、コペルニクス的転回というものでした。

 

余談になりますが、わたしが関わっていた会で、日本語教師のためのシナリオ作りワー クショップなど、演劇界で活躍する方を講師にお招きし、「リアル」なことば でできたシナリオを作りそれを語学教育に活かす、という試みを企画してきました。

 

参加者から大変好評でした。しかし、「リアル」なことばで日本語教育の現場 で使えるようなシナリオを作ることが一筋縄では行かない、ということも痛感 しました。

 

そんな折、インプロ的な会話・対話を他の人が記録、観察するというワークショップ活動をしたことがあります。

 

そのワークショップでは、私たちがどんな風に「おしゃべり」している のかを見つめることから「リアル」な日本語に近づく、というのが狙いでした。

講師は平田さん主宰の劇団、青年団の俳優として話しことばを鋭く見つめていらしている山内健司さ んでした。

山内さんは演劇のことばについて次のように述べています。 「演劇の台詞の多くは「話し言葉」です。それは私たち自身の「本物の話し言葉」に大変似ています。私たちが充分に知っているかのように思いがちな この「本物の話し言葉」はどんな姿をしているのでしょうか?

そしてそれは演 劇の台詞とどう関係があるのでしょうか? このプログラムは、私が俳優として舞台上で感じていることから立ち上げた、 オリジナルのプログラムです。独自のやり方で、実際に個々人のしゃべる言葉 と向き合い、詳細に調べながら、その圧倒的な複雑さや、人によって全く異な る個性を味わい、楽しんでいきたいと思います。」

 

このワークショップに参加するまで、自分がどんな風に話し、コミュニケーションを行なっているのか、考えることなく、のほほんと日本語教師をやっていました。

 

このワークショップで、大きな発見が二つありました。

 

第一に、仕事でのコミュニケーションのやり方が仕事以外の場でも適用されることが多いということ。

 

わたしたちのグループのメンバーは、大学で講義形式のクラスを担当されている方、初級の日本語を教えている方、そしてわたし、の3名でした。

 

大勢の学生さん相手におそらく1コマ中、ずっと講義をしていらっしゃるであろう方は、ほかのメンバー二人にも、おそらく学生さん相手にするように、ほぼ90パーセント話していらっしゃいました。

 

わたしは、人見知り(覚えていらっしゃいますか?)で話すのが得意でないというか、だれか話してくれる人がいればこれ幸いと、聞き役に回るのが好きな方です。ですから、ただあいづちを打っていました。

ただ、もう一人の方が聞き役だけでは物足りないタイプの方で、講義調のコミュニケーションに対しイラついているのが明白でした。

わたしは二人の調整にあたふたしていたという思い出があります。

 

自分自身を振り返ると、日本語学習者には、できるだけやさしい日本語を使ってしまう、いわゆるTeachers’ Talkという話す癖があるということには気づいています。そして、学会などアカデミックな場でも漢語はあまり使っていないですね。

 

さて、第二の発見です。これは、自分が発した言葉でも一旦外にでてしまうと、それをセリフとして再現するのは、非常に難しいということ。このワークショップでは、さらにむずかしく人の話したことを再現するというタスクが課せられていました。これは、非常にむずかしかったですね。

 

そして、本題にもどりますと、平田先生のクラスでインプロ的に好き勝手に話していたのですが、(日本語母語話者ですから!)それを文字にして、セリフにしたとたん、自分が発したことばにもかかわらず、非常に不自然な言い方しかできず、しかも覚えられない!ということに気づかされました。

 

それに比べ、学生さんはいろいろなチャレンジを楽々とクリアしていっていました。

 

あるとき、平田先生にどうしてでしょう?と質問しました。先生のお答えは、「年齢的なものでしょう。」 もう「ガーンッ!」でした。

 

しかしながら、何十年ぶりに学生の立場にたって、クラスメートと共同作業をするのはたのしかったですし、知らず知らずに「先生モード」で硬くなっていた自分に気づくいいチャンスでしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラジャパクイーンの教訓2:異業種交流で学んだこと

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山茶花ー京都、相国寺

異業種交流というとビジネスっぽいですが、わたしの場合、教師以外のお仕事に従事されている方々との出会いを意味しています。よく言われることですが、教師を長くやっていると、どうしてもお山の大将になってしまいがちです。かくいうわたしも、子供の頃からよく言えばマイペース、成績表に「協調性が足りません」と担任の先生からのご注意があるようようなこどもでしたので、教師になってからは本当にお山の大将になっています。

 

東京ノート」を教材にして日本語会話のコースを教え、順調だったので、我流で学生の寸劇作りの指導をしていました。また、学生さんには、「東京ノート」の演者さんのセリフまわしを真似させていたのですが、そちらも我流の指導法でした。そんななか、簡単そうに見えるけれど、いいにくいセリフというのがあって、わたし自身もあまりできず、ましてや学生さんに指導するなんて、とても無理ということがありました。

 

そんな折、「東京ノート」の出演者で親しくさせていただいている俳優さんとおともだちがビクトリアを訪問するという、はたまたラッキーなことがありました。クラスに来ていただき、セリフの言い方指導をしてもらいました。例のいいにくいセリフもプロの指導、しかも一言、二言のアドバイスで、学生がスラッと言えるようになったのです。

 

さすが、プロだなあ、と感心しましたね。それから、演劇関係の方とお話する機会が多くなり、日本語教師のためのワークショップなどをお願いするようになりました。

 

はじめのころは、演劇がなぜ日本語教育に役立つのか、ピンと来なかったようでしたが、みなさん親切でいろいろ助けてくださいました。

 

そうこうするうちに、平田オリザさんが勤務校に客員教授としていらっしゃることになりました。演劇学科とうちのアジア学科と両方の学科でコースを担当されることになりました。わたしは両方の学科のコースに顔を出し、いろいろと学ばせていただきました。

 

それまで、演劇学科とは全く接点がなかったのですが、平田さんがいらしてからご縁ができて、「応用演劇」という演劇のプロを目指す学生ではなく、教育とか社会福祉とかの分野で使える演劇的手法を座学でなく実践的に学びました。その担当の先生はカナダで有名な俳優、演出家の方でした。その先生に「聴講させてください。教室の後ろの方にいて邪魔にならないように座っていますから。」とお願いしました。

 

授業の初日、教室に行ってみたら、椅子や机がまったくないスタジオでした。聴講して、教室の角っこに座っていることはできませんでした。これには、ビックリでした。「ガーン!」という音が頭の中で鳴っていました。

 

グループワークが多く、学部生といっしょに活動をすることになりました。ふつう、学部生とクラスメートになるということはないので、これもある種異業種交流で、たいへん面白かったです。さらに、そのコースにはアジア人があまりいなかったので、わたしの世界観がいわゆるふつうのカナダ人とかなり違っていることにも気づかされました。

 

ハロウィーンの頃だったので、バンパイヤ王子という物語を材料にしてお話の続きを自分たちで作ることになりました。バンパイヤ王子はあるお姫さまに恋するのですが、自分がバンパイヤであることをお姫様に伝えるか、それとも伝えまいか、というジレンマに陥ります。さて、どうする?

わたしは、ありのままをお姫様に伝え、それを受け入れてもらえなかったら、仕方ない。という案を提案したところ、グループから総スカンをくらいました。

彼らは若いので、いろいろな案を出して、ああでもない、こうでもない、と議論していましたが、なんとか策を練って問題を解決しようとアイデアを出していました。ありのままを受け入れるというオプションははじめからなかったようでした。

これは、年齢のせいなのか、文化的背景なのか、わたしの性格か、よくわかりませんが、ほかの場面でもグループメンバーと考え方が違うことが多々ありました。まあ、腹をたてるというより、いろいろな考えがあるのだなあ、と感心していた覚えがあります。

 

先生役をずっとしていると、この「いろいろな考え・見方・やり方があるのだなあ。」という当たり前のことを忘れがちになります。たまに違う世界にいる人たちと接すること、それもイコールな立場での出会い・交流というのは、硬くなった頭と心をほぐす、いいきっかけになりますね。