ドラジャパクイーンの教訓2:異業種交流で学んだこと
異業種交流というとビジネスっぽいですが、わたしの場合、教師以外のお仕事に従事されている方々との出会いを意味しています。よく言われることですが、教師を長くやっていると、どうしてもお山の大将になってしまいがちです。かくいうわたしも、子供の頃からよく言えばマイペース、成績表に「協調性が足りません」と担任の先生からのご注意があるようようなこどもでしたので、教師になってからは本当にお山の大将になっています。
「東京ノート」を教材にして日本語会話のコースを教え、順調だったので、我流で学生の寸劇作りの指導をしていました。また、学生さんには、「東京ノート」の演者さんのセリフまわしを真似させていたのですが、そちらも我流の指導法でした。そんななか、簡単そうに見えるけれど、いいにくいセリフというのがあって、わたし自身もあまりできず、ましてや学生さんに指導するなんて、とても無理ということがありました。
そんな折、「東京ノート」の出演者で親しくさせていただいている俳優さんとおともだちがビクトリアを訪問するという、はたまたラッキーなことがありました。クラスに来ていただき、セリフの言い方指導をしてもらいました。例のいいにくいセリフもプロの指導、しかも一言、二言のアドバイスで、学生がスラッと言えるようになったのです。
さすが、プロだなあ、と感心しましたね。それから、演劇関係の方とお話する機会が多くなり、日本語教師のためのワークショップなどをお願いするようになりました。
はじめのころは、演劇がなぜ日本語教育に役立つのか、ピンと来なかったようでしたが、みなさん親切でいろいろ助けてくださいました。
そうこうするうちに、平田オリザさんが勤務校に客員教授としていらっしゃることになりました。演劇学科とうちのアジア学科と両方の学科でコースを担当されることになりました。わたしは両方の学科のコースに顔を出し、いろいろと学ばせていただきました。
それまで、演劇学科とは全く接点がなかったのですが、平田さんがいらしてからご縁ができて、「応用演劇」という演劇のプロを目指す学生ではなく、教育とか社会福祉とかの分野で使える演劇的手法を座学でなく実践的に学びました。その担当の先生はカナダで有名な俳優、演出家の方でした。その先生に「聴講させてください。教室の後ろの方にいて邪魔にならないように座っていますから。」とお願いしました。
授業の初日、教室に行ってみたら、椅子や机がまったくないスタジオでした。聴講して、教室の角っこに座っていることはできませんでした。これには、ビックリでした。「ガーン!」という音が頭の中で鳴っていました。
グループワークが多く、学部生といっしょに活動をすることになりました。ふつう、学部生とクラスメートになるということはないので、これもある種異業種交流で、たいへん面白かったです。さらに、そのコースにはアジア人があまりいなかったので、わたしの世界観がいわゆるふつうのカナダ人とかなり違っていることにも気づかされました。
ハロウィーンの頃だったので、バンパイヤ王子という物語を材料にしてお話の続きを自分たちで作ることになりました。バンパイヤ王子はあるお姫さまに恋するのですが、自分がバンパイヤであることをお姫様に伝えるか、それとも伝えまいか、というジレンマに陥ります。さて、どうする?
わたしは、ありのままをお姫様に伝え、それを受け入れてもらえなかったら、仕方ない。という案を提案したところ、グループから総スカンをくらいました。
彼らは若いので、いろいろな案を出して、ああでもない、こうでもない、と議論していましたが、なんとか策を練って問題を解決しようとアイデアを出していました。ありのままを受け入れるというオプションははじめからなかったようでした。
これは、年齢のせいなのか、文化的背景なのか、わたしの性格か、よくわかりませんが、ほかの場面でもグループメンバーと考え方が違うことが多々ありました。まあ、腹をたてるというより、いろいろな考えがあるのだなあ、と感心していた覚えがあります。
先生役をずっとしていると、この「いろいろな考え・見方・やり方があるのだなあ。」という当たり前のことを忘れがちになります。たまに違う世界にいる人たちと接すること、それもイコールな立場での出会い・交流というのは、硬くなった頭と心をほぐす、いいきっかけになりますね。