ドラジャパクイーンのお部屋へようこそ!ドラマ・演劇・言語教育について思うこと

ドラマ・演劇を日本語教育に活用するアイデアをシェアする場です。

ドラジャパクイーンの誕生 2:ドラジャパって、何?の続き

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        ビクトリア ブリティッシュコロンビア州副総督公邸のバラ園

「ドラジャパ」という言葉で、わたしは何を言いたいんでしょう?

ドラマ的なもの+日本語を意味している、ということは確かなんです。ただ、「ドラマ」というのが、ちょっと曲者でして。

「ドラマ」と聞いて、どんなイメージが浮かびますか?お気に入りのテレビドラマ?心理療法などで使われるドラマセラピー?日常的によく使われることばは、多義的で、人によってそのことばが生む内容やイメージが異なることがあります。それで、誤解を生むことも。

「ドラマ」の定義を辞書で調べると、1)文学・芸術作品の一ジャンルとしてのドラマ、2)印象的つまり感情を揺りうごかす出来事としてのドラマの二つに大きく分けらるように見えます。初めの定義には、戯曲や舞台やテレビ、映画で俳優が演じることなどが含まれます。二番目はドラマクイーンでご紹介したように、感情を動かす出来事や状態という心理的な要素にスポットライトが当てられているようです。

「ドラマ」ということばは教育の世界、特にイギリス、欧米でよく使われているんです。実は、わたしがそもそもカナダに来た理由は、教育におけるドラマについて学ぼうと思ったからなんです。カナダの大学で、ドラマについて初めに学んだのは、「ドラマはプロセスである。」ということでした。学芸会での劇のように、観客の前で演じるというのが最終目的ではなく、子供(大人でも)が潜在的に持っているいろいろな可能性のドアをドラマという安全装置で開けていき、自分の枠を広げていく、ということでした。授業では実際に身体を使って、いろいろなことをさせられました。私は出来上がった劇作品を使って、外国語を教えるということを勉強しに、はるかカナダまで来たので、初めは身体を使う授業に面食らいましたね。

留学生としてカナダの大学でも面白い経験をしましたので、その話はまた改めてお話することにしますね。本題の「ドラジャパ」の謎にもどらなくては。

「ドラジャパ」の「ドラ」には二つの意味が含まれています。

プロセスとしてのドラマ、そして心を揺さぶるという意味でのドラマチック。

日本語学習、広く言語学習は、学習する側にとっても、教える側にとっても、大変ドラマチックなプロセスです。たとえば、全く日本語を知らない人が3ヶ月ほどで、頑張れば、日本語話者と簡単な会話もできるようになります。今まで、閉じていたドアが開いて、新しい世界に入っていく、ということですよね。なんてドラマチック!初級を教える醍醐味はこのドラマチックなプロセスに関われることです。

フィッツギボン(1993)という学者さんが外国語学習におけるドラマの効用について、いろいろ挙げています。1)目標(target)言語を用いて、意味のある、流れのあるインターアクションが生まれやすいこと;2)音声、韻律上の特徴が、断片的でなく、インターアクティブでコンテクストのある場面で学べること;3)新出語彙、表現が断片的でなく、意味のあるコンテクストの中で学べること;4)目標(target)言語を習得する上で自信が生まれること。

さらに、話し言葉に必ず伴う身振り、表情、間、話し手同士の距離などの非言語的要素も自然な形で学べると思います。

ということで、ドラマチックでドラマ(的)要素を活用した日本語学習を推進するわたくし、ドラジャパクイーンの誕生であります。 

次回は、「ドラマ」と「演劇」の共通点、違いについて、お話したいと思います。

参考文献

FitzGibbon, E. (1993). Language at Play: Drama and Theatre in Education as Stimuli in Language Learning. In Schewe, M. and Shaw, P. (eds.), Towards drama as a method in the foreign language classroom. Frankfurt: Verlag Peter Lang.