ドラジャパクイーンのお部屋へようこそ!ドラマ・演劇・言語教育について思うこと

ドラマ・演劇を日本語教育に活用するアイデアをシェアする場です。

ドラジャパクイーンの回顧 1:虚構、模倣、遊び

 

f:id:DraJapaQueen:20190628065224j:plain

                 懐かしのベイビーキルト

前回、ドラマ教育における「虚構」の重要性について考えてみました。「虚構」と必ずと言っていいほど、いっしょに語られるのが「模倣」です。

 

上の写真の中で犬の敷物になっているくまちゃんのキルトを見ると、思い出すことがあります。今は、愛犬の「私物」になっているのですが、元々は今年27歳になる息子の愛用品でした。彼が誕生する前、勤務する学科の先輩、同僚がベビーシャワーをしてくれました。赤ちゃん用の服、おもちゃなど、いろいろいただきました。その中で、今でも手元に残っているのがこのキルトです。

息子は2歳近くなってもなかなか言葉らしい言葉を発しませんでした。お医者様に相談したところ、息子が意思を伝えるまえに、わたしが先回りして希望を叶えてしまうので、彼は話す必要を感じていないのでは?と言われました。そうこうしているうちに、息子は初めて発話を!

このキルトの上に座って「おふね!」と言ったのです。キルトをみると「おふね」風に、ぐしゃぐしゃですが、折られています。キッチンの床に、キルトをおいて自分がその上に足を伸ばして座っていました。「おふね!」とわたしに向かって言ったときの、得意そうな表情を未だに鮮明に覚えています。

初めての言葉が「ママ」でもなく「うまうま」でもなく、「おふね」とは!

「あっ、この子はおふねにのっているふりをしているんだ。キッチンの床を水、キルトをふねと見立てているんだ!そして、自分はおふねをこぐふりをしているんだ」と驚きました。夫とわたしは湖でカヌーを漕ぐのが好きで、息子が小さい時から連れて行っていました。わたしは「カヌー」と呼ばないで「おふね」と言っていたのかもしれません。

言語には大まかに言って、4つの機能があると思います。意思疎通(ほかの人とのコミュニケーションをするため)の機能、記号としての機能(事物や内容を表すための機能)、感情・感覚を表現する機能、そして象徴的機能(「現実には無い物事」を「他のもの」に置き換えて表現する機能)の4つです。言語の機能に関しては諸説ありますが、ここでは便宜上、4つということにします。4つのうち、感情・感覚を表現する機能は、ほとんどの発話で見られる機能だと思います。

この4つの機能を小さい子供とのやりとりを例に説明してみましょう。

 

はじめの意思疎通機能の例は、

「ママー、お菓子、買ってー!」

駄々をこねている子供は、おかあさんに、お菓子を買ってほしいという願望を伝えようとしていると解釈できます。同時に、怒りとか甘えとかの感情をも表現していると考えられます。

 

記号としての機能は、どうでしょうか?

子供が写真を見て、

「ママー、この人、だあれ?」

「ああ、この人ね。あつこおばちゃんよ。覚えていないかな?ママのお友達で、前に会ったでしょ?」

このやりとりは女の人の写真を見た子供がおかあさんに写真が表している情報、「あつこおばちゃん、ママの友達」を得ていると解釈できます。

 

象徴的機能は、子供のごっこ遊びでよく見られます。

子供たちがママゴトをしている場面で。

おかあさんの役割をしている子供が他の子供に、松ぼっくりを渡しながら、

「たっちゃん、ほらクッキーよ。ボロボロこぼさないで、きれいに食べるのよ。」

と言っている行為にはいろいろな象徴的要素が含まれています。まず、「見立て」。松ぼっくりをクッキーに見立てるという象徴行動、そして、「こぼさないで、きれいに食べるのよ。」というのは、おそらくこの子のおかあさんの模倣をしているのでしょう。いつも自分が言われているおかあさんのセリフを口調、身振り、表情も上手に真似ているのが想像できます。

ままごとの世界は虚構です。虚構の世界の中で、たっちゃんに対して意思疎通、そしてクッキーよ、といって松ぼっくり=クッキーという記号的関係も提示しています。おかあさんという役割を担うことで、自負心という感情をも表しているように思えます。

子供の成長にとって、ままごとだけではなくいろいろな形の遊びは重要な役割を果たしています。

 

度々、言及させていただいている小林由利子さんも、「演劇もドラマもルーツは「子どもの遊び」、また、「演劇も遊びもそれぞれがいろいろな力、例えば、自発性や自主性、創造性、想像力、コミュニケーション能力や社会性を伸ばしてくれる」と、おっしゃっています。

「遊び」に関して、発達心理学歴史学、人類学、哲学など、様々な分野から研究されています。その中で、オランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガやフランスの社会学者であり哲学者のロジェ・カイヨワは「遊び」の理論的構築を試みました。

 

わたしが日本の大学で勉強していた頃、ゼミの指導教官がその頃、「遊び」に学問的興味を持っていたため、ホイジンガさんの『ホモ・ルーデンス』(遊ぶ人間)とカイヨワさんの『遊びと人間』とじっくり付き合うことになりました。その後、20年ぐらい、「遊び」のことは忘れていました。

しかし、二十代前半の時、「遊び」について学んだこと、考えたことが今になって「ドラマ」的・「演劇」的要素を教育に取り入れるときに、影響を与えているようなのです。

今回は息子の幼い頃を回顧しましたが、次回は日本にいて人見知りだった女子学生のころ、「遊び」について勉強していたころを回顧することにいたしましょう。

 

参考文献・ウェブサイト

小林由利子さんへのインタビュー

 

ホモ・ルーデンス (中公文庫プレミアム) 文庫 

ホイジンガ (著), 高橋 英夫 (翻訳)

 

遊びと人間 (講談社学術文庫) 文庫

ロジェ カイヨワ (著), 多田 道太郎 (翻訳), 塚崎 幹夫 (翻訳)