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ドラジャパクイーンの迷走 2:「安全装置」としてのドラマ的なるもの

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       ビクトリア大学庭園のスズラン いい匂いで幸せな気持ちに。

前回のブログで「装置」という表現を使いました。

 

また国語辞典で調べてみますと、「ある目的に合わせて設備、機械、仕掛けなどを備えつけること、または、その設備、機械」を意味するそうです。

 

前々回で使った「安全装置」を例に、考えてみましょう。

 

「安全装置」は、「安全を目的とする装置」ということですね。古い日本語の「安全」は、心を落ち着かせることを意味していたようです。となると、ドラマは「心を落ち着かせる」のに役立つ仕掛けとも言えます。では、一体何が安全でないのでしょう?世の中には不安な要素が満ち満ちており、心がざわつくことが多いですね。でも、ここでは、特にコミュニケーションの場面における不安要素について、考えてみたいと思います。

 

まずは、日本語学習を例に見てみましょう。教室内では、何が起こるのか、ある程度予想がつきます。真面目な学生さんは、予習、復習も怠らず、準備万端で授業に臨みます。文法、語彙、漢字などの練習問題も完璧にこなします。会話の練習もある程度はスムーズに進みます。学生さんも教師であるわたしも、「これで日本語は完璧!」と自信を持っていた時、意外な出来事が。

 

スーパーマーケットで、この優等生にばったり会いました。「あらー、スミスさん。こんにちは。お買い物?」と日本語で話しかけました。スミスさんは、フリーズしてしまい、日本語はおろか英語でも、一言も出てきません。緊張のあまり、顔も強張っています。焦ったわたしは英語にスイッチしましたが、スミスさんは、それでも緊張が完全には溶けていないようでした。お互い気まずい思いで、その場をそそくさと去りました。

このような学生さんは、わたしが日本語を教え始めた30年前ごろには、多かったですね。教室内では、日本語を使うというルールがあるので、意識的に日本語を使いますが、教室の外では、意表を突かれて、フリーズしてしまう、ということがあります。真面目な人ほど、その傾向は顕著であるように思います。

 

わたしも何を隠そう、人見知りでした(です?)なぜか多くの人は冗談だと思い、笑うのですが。若い頃は、知らない人とはなかなか話せませんでした。いつも、お話し上手な人が周りにいて、わたしの代弁者となってくれていたので、話す必要があまりなかったのかもしれません。授業で質問に答えるとか、大勢の人の前で話すのは、全く問題がなかったのですが、あまり親しくない人との雑談が最も苦手です(でした?)母語でもそうですから、あまりよくしらない人と英語で雑談するのが大嫌いで、「わたしの近くに寄るな」オーラを出しまくっていました。

 

最近、気がついたのは、日本語でも英語でも知らない人に自分から話しかけているということでした。考える前に、ことばが出ているということに、我ながらびっくり。昔からの友人には、「前はおとなしかったのに、どうしたの?」と聞かれる始末です。自分の変化に気づき始め、いろいろ原因を考えたところ、長年の教師生活で毎年知らない学生相手に話しているうちに、話すことに慣れていったという結論に達しました。そこで、大事なのは、教師としての「役割」があって、大学という「場」で、だいたい予想のつく「話題」で話す機会が30年以上あったということです。もちろん、びっくりすることもたまにはありましたが、大学で日本語教師という役割を果たす中で毎年違う学生さんと接することは、私にとって、人見知りを克服する(進行中!)ための安全装置であったように思えます。今は話しやすそうであれば、知らない人とでも話せるようになりました。30年もかかってしまいましたが、今まで、閉じていたドアが開いて、新しい世界に入っていくという感覚を強く感じています。

 

朗報です!30年かけなくても、ドラマ的な仕掛けで、新しい世界に入っていくという感覚を強く感じることができます。

 

前回、演劇とドラマの違いについて、お話をしました。ドラマ教育の第一人者である小林由利子さんがドラマの特徴について、次のようにおっしゃっています。

「ドラマというものは、たしかに虚構です。でも、参加者にとってはリアリティーがあるものなんです。ただ頭でわかったというものではなく、頭と体が一緒になった状態で体感し、新たな知見を得る体験になったのです。」

 

ドラマはリアリティを感じられる虚構。虚構ということばは、なんだかネガティブに聞こえますが、虚構にいる間は、安心していろいろな体験ができます。そして、現実に戻っていくことができます。そう意味で、ドラマ的な活動の場では虚構であるがゆえに落ち着いて、冒険できるのです!

 

前述の緊張してしまった日本語学習者も、ドラマという安全地帯で間違っても気にせず、話していくことで、だんだん緊張も薄れ、いずれは自信を持って、実際に日本語でコミュニケーションを取れるようになれるでしょう。

 

しかし、ドラマ的な学習を成功させるには、いろいろな面を考慮する必要があります。その実例は改めて、紹介させていただきますね。

 

参考ウェブサイト

小林由利子さんへのインタビュー2