ドラジャパクイーンの本懐4:日常の言語生活に潜む「遊び」2
前のブログで、明確な目的があり、伝えたい情報があるから、コミュニケーションをとるとは限らないというお話をしました。
「雑談」の醍醐味、そしてむずかしさは、話がどう転がるかわからないところ、つまり予測が簡単につかないところにあると思います。
失言をして、評判を落とすかもしれない、面子がつぶれるかもしれない、どんなことを話したらいいかわからない、うまく応えることができない、などなど、「雑談」にまつわる不安材料を数え上げたらきりがありません。
『凪のお暇』という今期話題になっているドラマを見ています。主人公の凪さんは、「空気」を読みすぎ、人とのコミュニケーションに苦労しています。このドラマは主人公の人生リセットという大きなテーマとともに、「コミュニケーション」についても考えさせてくれるいいドラマだなあ、と思っています。
凪さんがバイトをしているスナックで、お客さんとの「雑談」がうまくできないということで、「コミュニケーション」のハウツー本を何冊も買い込み、勉強しているというシーンがありました。でも、それをバイト先の主、元彼に一刀両断で批判されてしまいます。コミュニケーションというのは、小手先の技術で上手になるものではなく、相手に興味を持つこと、そして自分からアクションを起こすことが肝要だと、凪さんに伝えようとしたのだと思います。
このエピソードでは、凪さんは勇気を出して、「友達」の坂本さんに本音を伝え、ハッピーエンドで終わるのですが。
でも本音コミュニケーションは、いつもスムーズに行われるのでしょうか。
わたしたちは他の人と仕事の場、遊びの場であれ、なんらかのやりとりをする際、自分の経験、知識に基づいて世界を見ているし、コミュニケーションの取り方も自分流で行うことが多いでしょう。たまたま、出会った人と流儀が似ていて、コミュニケーションや仕事の段取りがスムーズにいくこともあります。
一般的に「日本人」は以心伝心で言葉に出さなくてもスムーズなコミュニケーションが可能であると言われます。
しかし、もしかして、ある人は「空気」を読んで、ほかの人(力関係で上の)の流儀に合わせているので、コミュニケーションがかろうじて成立しているのかもしれませんね。
それでは、どうしたらいいのでしょう?
凪さんのように、まず勇気を出して相手の懐に飛び込んでみることも必要でしょうね。
私が尊敬するロボット学の学者さん、岡田美智男さんが勇気を持って飛び込む行為、Entrustingとそれを受け止める行為、Groundingについて明快に解説しているので、引用させていただきます。
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最初に繰り出す投機的な行為(エントラスティング entrusting)さえあれば、それを受け止める行為(グラウンディング grounding)がおのずと出てくる。そういう感覚が持てるかどうかが大事なんです。そもそも僕らは、言い直すことを前提に発話を作り上げているんですよ。それが当たり前のはずなのに、最初からきれいな構造のものをつくり出すようなトレーニングを強制されている。ちょっと間違えると叱られるから、頭の中で一生懸命考えて、プロットをつくってからしゃべり出すようなトレーニングです。でも、そうなったら誰もしゃべれないですよね。
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以前、私は人見知りで「雑談」が苦手と言っていました。おしゃべり上手なともだちにくっついて、よく知らない人との出会いでは、ただ相槌を打つ、いじられ役になる、など受け身的なコミュニケーターでした。話しかける勇気がなかったというのもあるでしょう。また相手に興味がなかったのかもしれません。今、振り返ると、よく知らない人と話すという「賭け」の遊びの面白さを知らなかったのだなあ、と思います。また話がどう転がるかわからない面白さ、楽しさが想像できなかった、というのもありますね。
高校時代からのともだちに、最近言われたのが、「よくしゃべるねえ!」です。何かきっかけがあると、知らない人に話しかけている自分に我ながらびっくりすることも。
参考文献
『弱いロボット』医学書院; 1版 (2012/8/24)