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ドラジャパクイーンの本職:もぐりの日本語教師誕生秘話2

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裏庭の桔梗

勤務先大学の新学年が始まりました。今年は勤め始めて、なんと33年目です!

 

今学期は、10数年ぶりに初級日本語を担当することになりました。この10年ほどは、日本語以外の科目を担当することが多く、日本語を教えると言っても、上級の読解とか会話とかを教えていたので、日本語を全く知らない人たちに教える感覚を忘れており、すこし不安でした。

 

勤め始めは、初級日本語と上級日本語という組み合わせで、日本語だけを教えていたので、非常にバランスが取れていました。ゼロから始めた学習者が大学で最終的に行き着くところを見られて、教えがいのある日々でした。

 

初級は授業中のペースが速く、エアロビクス的。わたしは、近所のジムでエアロビのクラスに通っていたのですが、上手な先生は生徒のことをよく見ていて、次にする動きの指示を適切なところで出すのです。また、だんだん動きの組み合わせを複雑にしていき、生徒に常に適切な量とペースのチャレンジをあたえていることに気づきました。あまり慣れていない先生は指示出しのタイミングが早すぎか遅すぎ、動きの組み合わせが難しすぎか、やさしすぎの両極端なことが多かったです。このエアロビ体験は、初級日本語を教える際にたいへん参考になったものです。

 

上級は?うーん。学習者のレベルがまちまちなことが多く、教えるのはむずかしいですね。特に会話のクラスは、10年以上、ああだこうだ、と試行錯誤の繰り返し。成功した!と自信が持てた学期は正直、なかったと思います。それで平田オリザさんの演劇に出会う訳なのですが、詳しいことは別の機会に。

 

1980年代、日本経済が世界を席巻していたころ、「日本の経済ミラクルの秘密はなんだなんだ?」と世界が大騒ぎをしていましたね。日本の教育制度が素晴らしいという説が流れると、日本の学校に外国からの視察団が殺到したこともありました。

 

日本の高度成長期と日本語ブームはシンクロしていたように見えます。

 

日本サイドでも、日本語を世界に広めよう!という動きが生まれ、日本語講座開講に関し日本からの助成を受け、世界各地の教育機関で日本語が教えられるようになりました。80年代の高度成長期にはカナダでも日本語ブームが起こり、中等教育日本語教育が開始されたのをはじめ、日本語教育機関数も学習者数も飛躍的に増加しました。

 

勤務先が日本からの助成を受け、わたしが雇われたという経緯があります。日本語学も日本語教授法もきちんと勉強せずにカナダの大学で就職できたのは、まさしく日本語ブームのおかげということになりますね。

 

日本の経済バブルが弾けてもしばらくは、日本語講座の開講ブームは続いていました。初級日本語講座は受講したい人が多すぎてたいへんでした。

 

80年代の日本語ブーム後、日本語学習希望者数は激減せず、横ばい状態でした。そして、日本語教師にとっての救世主、Jポップカルチャーの世界的人気により、日本語の人気がまた盛り返します。

 

最近では、アニメ、ゲーム、マンガから日本語に興味を持つという学習者より、日本語そのもの、そして日本の観光地、歴史、食べ物への興味から日本語講座を受講している人が増えているようです。

 

学習者の変遷を見ていくのもおもしろいですが、次の回では教え方(私個人の)についてお話しさせてください。