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ドラジャパクイーンの本職:もぐりの日本語教師奮闘1

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秋の気配:ビクトリアではありません。宇治の平等院です。

前にお話ししたかと思いますが、カナダの大学院で博士課程の勉強をしておりました。そもそもは、演劇・ドラマなどのクリエーティブな活動を英語教育に取り入れたいと思い、ドラマ・演劇教育の大家のもとで博士課程1年目を始めました。その学科はカリキュラムスタディーズという、言わばなんでもありの学科で、フレンチイマージョンの権威、コミュニカティブアプローチの権威、継承語教育の権威、などなど今考えると錚々たる教授陣が属する学科でした。大学院なので、必修科目は少なかったのですが、一応カリキュラム概論のような講座をとることに。

 

そこでもアッと驚くことがありました。カリキュラム概論だから、教案作りでもするのかと思いきや、カリキュラムの背後にある歴史、政治、社会的な側面やまたカリキュラムを作る側、その影響を受ける側の力関係や、作る側の社会・政治的な姿勢などについて、議論する講座だったのです。英語力不足で全部消化しきれず苦戦した授業でした。また「カリキュラム」イコール「教案」という先入観を根本から覆す体験でした。

 

わたしの先生は、のち博士論文の指導教官になっていただくのですが、Hidden Curriculum(隠れたカリキュラム)ということをよくおっしゃっていました。1960年代後半にフィリップ・ジャクソンさんと教育学者が造ったことばのようですが、その後、教育学や社会学の分野でよく使われるようになったようです。三省堂大辞林の定義は以下の通りです。

 

隠れたカリキュラム 〔hidden curriculum〕

社会学用語。学校教育の公式カリキュラムの教授過程における教師の行動を通じて暗黙に伝達される実践的な知識。学校に適した行動様式や男女の役割期待が習得されてゆくとされる。

 

「隠れた」というとネガティブな印象を受けますが、必ずしもそうではなく、現場で実際に伝え・伝わっていることは、明示的な側面とそうでない面があるということでしょうね。

 

「Unwritten Rule」とか「暗黙の了解」など、似たような概念・表現がありますね。

 

日本語を教えていて自分のうちなるhidden curriculumに気づかされることが度々あります。何年もあとに、「あっ」と気づくこともあるし、学生さんの何気ないことばですぐ気づくこともあります。

 

15年ぐらい前でしょうか?上級日本語を教えていたときのことです。そのときのテーマは、敬語とかの丁寧な表現だったと思います。敬語をどのような場面で使うとか、誰に使うとか、マニュアル的に教えていたと思います。

 

授業が終わったあと、歴史専攻のよくできる学生さんに、「日本語の先生、そして教科書はステレオタイプ的に日本を紹介しますよね。」と流暢な日本語で言われたのです。その時は、「そうね。」と流していました。彼の言いたいことがよくわかっていなかったのですが、頭の片隅に彼のコメントが、ずっとひっかかっていました。

 

数ヶ月後だったか、数年後だったか、記憶がおぼろげですが、

 

日本語のクラスで「日本では____________________するのです。」   「日本人は   _________________です。」と、説明する私自身の発話にぎょっとしました。

ああ、これがステレオタイプ! こういうことを、あの優秀な学生さんは、伝えたかったのね。

 

他の気づきは共通日本語(まあ、標準語とよく呼ばれているものですね)に関したものです。

 

博士課程時代、日本語講座の助手を数年させていただきました。

 

昔のことですので、インターネットなどありません。

 

話し言葉としての日本語のモデルは、教師や助手でした。当時は東京方言をベースにした共通日本語を学生に教えるべきであるという考え方が広まっていたようです。

 

ですから、単語のアクセントやイントネーションの指導(というか、ただリピートアフターミーと言って、練習させただけです)は、東京生まれ育ちのわたしには、非常に楽でした。

その時に、関西出身の先生が上司でしたが、東京風に発音するのに苦労されていたのが印象に残っています。テストにはイントネーションを表す線を書かせたりしていました。

 

もちろん、多くの人にとって聴きやすい日本語ということで、全国区の共通語を教えるというのは、実用的だと思います。

 

大学院生時代に、たまたま東京方言(東京方言もいろいろ種類がありますが、それは置いておいて)話者であったということで、学生のまえで日本語を読むというお役目をいただき、ちょっと得意になっていた自分がなつかしいようなはずかしいような。 

 

その時の自分に、言ってやりたいです。「日本語の多様性について、どう思うんだ!」と。

 

次回は、学生の「会話が上手になりたい。日本人のようにペラペラになりたい。」という願いについて、お話しようかと思います。