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ドラジャパクイーンの本職:もぐりの日本語教師奮闘2

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島根県安来足立美術館近くの旅館

9月の第1週から教え始めている初級日本語講座。最後に教えた記憶が定かでないほど久々です。年齢のせいか、近々の過去よりずーっと前の過去の記憶が鮮明に蘇り、現在の勤務校で教え始めたころをすこしふりかえります。

32年前のわたしは、自分で言うのもなんですが、相当若くみられていました。33歳だったんですけどね。

まだ車の免許もなく、バスで移動していたとき、バス停で待っていると、学部生にナンパされそうになったことも!教え子のなかには、一旦社会に出てから大学に入るという「おとな」の学生さんもいらっしゃいました。先生と呼んでくださるのですが、「今度、いっしょに食事でもどうですか?」とお誘いもありましたね。これはまだいいのですが。

若く見えるということで不利なことも多々ありました。そのうえ、アジア人女性であり、わたしはおとなしく見られがちだったので(中身は正反対なんですけどネ)、学生に脅されそうになったこともありました。テストの点数が気に食わない、点数をもっとよくしろ!などと言われたこともありました。おとなしく見えても中身はそうでないので、そんな脅しにのるわたしではありません。わたしなりにビシッと、そんなことはできない、ほかの一所懸命頑張っている学生にフェアじゃないでしょ!と返しました。

歳を取っていろいろな経験値を積むというのは、いいことだなあと思いますね。おかあさんどころかおばあちゃんの年齢に達したわたしに脅しをかける不届き者はいませんが、泣き出す子が時々いるんですよね。それも困ります。

 

またまた脱線してしまいました。学生さんの会話願望の話でしたね。

 

今の学生さんからはさほど聞かないのですが、すこし前の学生さんには、「会話が上手になって、日本語をペラペラと話したい」という希望というか目標をよく聞いたものです。「ぺらぺら」と言う部分をFluentlyでなく「ぺらぺら」と言っていました。

しかしながら、教えるわたしが母語での会話もそれほどスムーズにできないのに、わたしの学生さんは、どうやって日本語ぺらぺらになれるんでしょうか。

 

どのクラスでも間違うのを恐れてだまってしまう人たちが必ずいます。習った

文型などの練習のため、質問して答えるペアワークなどをしてもあまり熱心で

はありません。声も小さく、また本に書いてある文を読んでしまいます。これ

では、意味のあるコミュニケーションができるようになるはずはありません。

自分から何か声をださなければいけない状況を作るのが教師の役割、手腕だと

思いますが、なかなか難しいものがあります。また、教室外でばったり学生さ

んに会い、「あ、こんにちは。お買いもの?」と話しかけても、「.あっ、 .

.. . .。」と緊張のあまり、声も出ないという人も珍しくありません。このよ

うなとき、外国語を習うのは、特に話したり聞いたりの練習は、スポーツ、音

楽の練習など同じように身体活動なのだなあと、つくづく実感します。スポー

ツや音楽が日々練習が必要なように、外国語習得も習慣性を要します。じっく

り考える前に身体が動くように訓練をする必要がありますねー。

 

それでは、中級以上の学習者はどうでしょう。語彙、文法の基礎を習得してい

るので、習ったことを応用したら日本語でコミュニケーションができるはずで

す。中級以上の講座では日本へ留学して帰ってきた学生さんと日本へは一度も

行ったことがない学生さんがクラスメイトになることが多いのですが、これが

また問題になることがあります。日本である期間生活したことがある人は往々

にして、日本語で話すことにあまり抵抗を感じません。また「日本語が上手」

と日本人に褒められることが多いと思います。素直な人はその評価を額面通り

受け取り、自分は日本語を話すのが非常に上手であると自信を持ち、ますます

話すのが好きになるということになります。文法、語彙、また敬語などの待遇

表現上の間違いがあっても、なんとか意思の疎通はできます。間違いを直され

る場合はいいですが、ブロークンジャパニーズのままで自信過剰になる場合も

あります。こんな学生さんがクラスにいると、日本に行ったことがない学生さ

んには大いなる脅威となり、この日本帰りの学生さんばかりがクラスで話し、

他の人たちは委縮して貝のようにだまりこむという図式になります。

 

日本から戻ったばかりの学生さんにとって、第一の、また最大の問題は自分の話し

言葉に問題がないと思っていることでしょう。自信を持つことは言語運用にと

って大変重要な要素ですが、日本語を話すことに問題がないと思うのはそれこ

そ問題です。特に話すことに重きを置き、話すことを楽しむ文化から来た学習

者は話しすぎて、相手の話を聞かないという間違いを犯しがちです。

 

話す相手、状況、話題などによって、待遇表現を適切に選ぶという能力は上級

の学習者でもなかなか習得するのは難しいと思います。敬語を使いすぎて、話

す相手との距離を取りすぎたり、また親しみを増そうという動機からくだけた

 文体を選び目上の人に失礼な人だと思われたりすることもあるでしょう。問題

なのは、自分が間違いを犯していることに気付かずにいることだと思います。

日本語母語話者でも待遇表現の調整というのは訓練の必要があるものですから

、外国語として日本語を習っている人たちにとっては難関であるのは当然です

。待遇表現というのは単に適切な文体、表現が選択できるだけでなく、イント

ネーション、声の大きさ、口調など、言い方にも調整が必要です。それに加え

、姿勢、身振りなどの非言語要素も大変重要な役割を果たしています。極端な

例を挙げると、謝罪する場合、どんなに言葉を尽くしても、言い方や態度が横

柄に思われたら謝罪は成立しません。その逆に、無言でもお辞儀などの非言語

コミュニケーションの方がはるかに謝罪の意思を伝えることができる場合もあ

ります。日本語学習者によく見られる間違いが言葉の選択、言い方、態度のミ

スマッチです。たとえば、先生の研究室に入るなり、どかっとイスに座り、そ

れから敬語で「先生、今お忙しいですか?」などと聞く学生です。また自己紹

介をしてお辞儀をする際にポケットに手を入れている学生など、例を挙げると

キリがありません。

 

わたし自身、母語の日本語をぺらぺらと話すこともできない、そんな状態で、上級会話・聴解の講座を担当することになりました。

 

試行錯誤の連続で、日本語教師としての能力と適性についてかなり悩んだ時期でした。

 

次は、わたしの日本語教師生活で一番苦労したときのお話をいたしましょう。